自分の始まりの日

誕生日だよ。

こないだの山行で、山の仲間のSさんとはちょうど30年の齢の差がある。
「あと30年も登れるから」と言われた。Sさんは年齢にしては若いと思う。
身体&体力の衰え、体の動きに対する違和感が今の年齢と段々と違ってくるのだということはSさんの年齢になってみないと分からない。今の私にはそんなこと想像もつかない。今は私より技術も体力もあるSさんを見ている限りそう感じる。

年を老いた山屋さんとは山で会話をしたりすると必ず年齢を聞かれる。
「まだまだ沢山いけるね!」ってよく言われる。
鍋割山の草野さんも体の衰えの話を以前は度々聞いていた。若いときは丸太を担いだとかガスボンベだとか。
今は100kもボッカできないとかw長年の経験と蓄積されたものが年を重ねてより分厚い物となって、山の達人になって行くのだと思うのだけど。そうじゃないのかな?

山登りを始めてから随分と人生が変わりました。インドア人間が完全なアウトドア人間にw

山の繋がりはいろんな人が居ていろんな人と出会えた。今でもいろんな人と出会えるし、繋がって行ける。山の魅力ってなんなんでしょう?
いつも一人で丹沢と奥多摩の山へ出かけていた。一人は気楽だった。
初めて山の仲間?(ボッカ仲間?)が出来た。
サークルみたいな感じで鍋割山へ何度かボッカで出かけた。草野さんには顔を覚えられ、行く度に「今日は休み?」と聞かれるw
休みじゃないとこんなとこ居ないよ!ってw
この友人達は不思議な繋がりで鍋割山荘と深い付き合いが出来ました。

そして、同じく単独で登っていた山友達が出来た。
彼とも何度か登った。
車があったので連れて行ってもらって本当ありがたい友人でした。彼は今はインドに出張中wしばらく会っていない。また、山へ一緒に出かけたいものです。
その時一緒に行った愛鷹山が一番印象に残っています。雪が綺麗でサラサラで雪にまみれた。初めての雪山!って感じで感動したのを思い出す。
そして、2010年夏、秦野へ思い切って引っ越してきた。
そう、今日でちょうど丸2年たったのだ。
秦野市民になってまだ、秦野の事知らないこと多いのだけど。丹沢は近くなった。自転車で渋沢丘陵を走ったり。相棒くんと丹沢の探検を楽しんだり。
引っ越す前から気になっていた山の技術面に対する不安。
そこが気になって翌年近場の山岳会に入った。神奈川県では2番目に古い山岳会だった。そこで出会った人たちは面白い人達ばかりで、いい方ばかりでした。秦野の人らしく、みんないい感じに緩い(ほんわか)感じでもあったと思うwwwでも、なんだか期待していた技術面での成長に納得がいかず、1年足らずで会を去った。
会長は登攀能力が高く、落ち着きがあって憧れの人ではあったが仕事が多忙な人だった為に教わることが出来なかった。多分、私が入った時のタイミングが悪かったように思う。当時、登攀できる人達みんな多忙で会に顔を出してなかったので。。。
 でもここに入ったから沢登りの楽しさのきっかけを頂いた。

少し悩んでた数ヶ月、そんな中でも知り合えた方々は多くて。
特に丹沢のVルートしている方にお会いできた事は光栄で嬉しかった事だった。丹沢が好きで彼等の記録は私のバイブル的な存在だったからです。この人達みたいに歩き回りたいと思ったりしていた。 未だお会いしたこと無い方も多いですが、今はブログ等でコメントをたまに書かせていただいています。未熟な私のお相手をしてくださって有難い限りです。そして、大きなきっかけをくれたのもとある方のおかげでした。
HPと記録を見て、自分の求めることに近い人達が居るのかな?と思って連絡をしてみた。
最初に連絡を取り合い、会の存在を知り、Sさんのこだわりを理解できた(納得&共感)
浮雲に入って山へ行く機会がグンと増えた。それと、技術指導も身に付いた。ほんの少しね。実際はまだまだ未熟です。そして、丹沢ばかりの私に広い視野を持たせてくれたし、山の楽しみ方も様々な角度で楽しめることを教えてくれた&見せてくれた。
今月で入会して半年が経つ。
浮雲で行ったのを岩トレも入れるとすでに23回くらい行ってるんだよねw
これって週1ペースで山ですねw
こんなに行くとは思わなかったけれども充実していますと共に、いい先輩たちにに巡り会えたと思います。今年1年は山は充実したものになるといいな。
そして、今年は  twitterの友人&知り合いの方々から沢山「おめでとう」 を頂いたのです。
ありがとうございます。
おめでとうをくれた方々に感謝を送ります。


Sさんからグリーディングカード的なものをいただいた。

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